切り紙アニメの名手

3月25日(月)の第728回無声映画鑑賞会では漫画映画『海の水はなぜからい』(昭和10年)も初めて活弁します。これまで度々、活弁させていただいた切り紙アニメの名手・村田安司さんの作品です。そこで、村田安司さんについて調べ直してみると、忘れてしまっていたことも多く…改めて面白いです。

村田は、私の活弁デビュー作、漫画映画『日本一の桃太郎』(昭和3年)を作った山本早苗さんと幼なじみで、山本より2歳年上です。がしかし、アニメ製作法の肝心なところは教えてもらえませんでした。山本の性格が悪いわけではなく(!)まだアニメーターという職業が確立されておらず、それぞれが独自の方法で漫画映画を生みだすのが普通でした。

横浜生まれの村田は大正12年、関東大震災の年、まだ震災の傷が癒えぬ中、横浜シネマ商会へ入社。タイトル書きの仕事をしつつ、海外のアニメ作品に興味を持ちました。横浜シネマの顧問だった(顧問格だったという資料もアリ)青地忠三さんの助言を得てアニメーションの研究を始めます。村田は自力でコマ撮りであることを突き止めます(←え?ここから?!)そしてこれが大きな功績だと思いますが、効率化をはかるため、背景と登場人物を分離させる「切り抜き」を思いつきます。その切り紙技術が素晴らしく、滑らかな動きはまさに名人です。

とはいえ、一枚ずつ撮影するのはあまりにもたいへん。モーターを使用し、電動装置でボタンを押してシャッターを動かせる装置を映画機械メーカーに作らせたことがさらに作業能率アップにつながりました。漫画映画に限らず無声映画は多くが消失してしまっているのがまことに残念なのですが、国立映画アーカイブの日本アニメーション映画クラシックス内のインターネット公開作品で、作家ごとの作品数も村田は群を抜いています。

と、村田ばかりに注目しがちですが、ほぼ全ての作品で脚色や脚本・原作として村田とタッグを組んだのが、先ほどもご紹介した青地忠三です。村田より11歳年上で、教職から教育映画の世界に入り、村田をアニメの世界に導きました。青地の影響だけでなく、当時の漫画映画は教訓的・教育的だったそうです。しかし、その無理やりなこじつけや、とってつけたような格言の字幕がシュールで、そこに弁士のツッコミが入ればなおのこと、現代の観客も大いに楽しむことができます。

今回『海の水はなぜからい』のネタおろしを立候補したのは、昨年、坂本頼光弁士が独演会で、鮮やかな切り口で会場の爆笑をさらっていたからです。私が真似しても同じようにはできないし…でも、台本を考えようとしても坂本君の台詞回しが頭から離れないしで、苦戦しました。ところが、今回改めて調べものをしたお蔭でとある資料に行きつき、私ならではの活弁はこれだ!とピラめいたら、登場人物が勝手に(?)しゃべってくれるようになり、悩み続けた数週間が嘘のように1日で第1稿を書きあげることができました。無声映画観賞会は第二部で澤登翠先生が絶対に素晴らしい活弁でしめてくださるのと、そして今回は山城秀之弁士もご登場なので、私はいつも安心して飛び道具を出してしまいます?!

本日は青地・村田コンビ作品のご参考までに、おもちゃ映画ミュージアム所蔵の『お伽のお爺さん』に私が活弁と音楽を担当した動画をはりつけます。「製作年不詳」となっていますが、こちら本当は『タヌ吉のお話』で青地・村田コンビの作品であるという推理については過去のブログをご参照くださいませ。

2019年3月10日

コメント

TAKAじい2019年3月10日

刃こぼれしちゃったので包丁を研がなくちゃ。こんばんは、お研ぎのお爺さんです。。。お伽のお爺さんを見ると一瞬メリエスの「月世界旅行」を思い出します。無声映画観賞会楽しみにしてます。

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