日本映画界初の映画専門女優・川田芳子の生涯
9月10日(土)『山崎バニラの「蒲田モダンことはじめ」』では昭和4年封切り、野村芳亭監督の『母』を初めて活弁します。主演は日本映画界初の映画専門女優、川田芳子さん。
評伝『かりそめの恋にさえ~女優・川田芳子の生涯』(升本喜年著/文藝春秋)を拝読しました。松竹蒲田撮影所開所当初はそれはそれは大人気で、大豪邸に住んでいた川田芳子さん。晩年は困窮し、小さなアパートの一室で一人、死後数日後に発見されました。
肌身離さず持っていたのは活動女優人気投票で自身が第一位になったときの古新聞。升本喜年さんの語り口、川田芳子さんの数奇な運命、流されてしまいがちなお人柄に、私まで情緒不安定になるほど引き込まれました。
大正9(1920)年、松竹蒲田撮影所が開所した年に映画デビューした川田芳子さんは、『母』が公開された昭和4(1929)年はすでに人気に陰りが出ていた時期だったということがわかりました。本作は大ヒットしますが、それでもかつての栄光は取り戻せません。
映画を離れた次の人生、もしくは名脇役へのシフト、生活ぶりを質素にするなど、打開策はいくつかあったと思いますが、川田芳子さんは強烈なステージ・ママを抱えていました。
まるで和製『サンセット大通り』のような晩年の様子。川田芳子さんのような方を現代のお客様にご紹介することも活動写真弁士の使命であると身の引き締まる思いです。
ハイサイ 哺乳類を引き付ける成分バニリンを持つというバニラさん。。。ステージ・ママっていうと美空ひばりさんや宮沢りえさんのお母様が思い出されるじじぃです。「母」は高峰秀子さん5歳のデビュー作でもあるそうですね。