蒲田モダン後の戦争
9月10日(土)『山崎バニラの「蒲田モダンことはじめ」』で披露する新作オリジナル動画「蒲田モダンことはじめ」製作のため、蒲田の歴史について調べています。動画で取り扱う時代より後になりますが、本日は終戦の日なので、蒲田モダン後の戦争について書きます。
映画の街としてだけでなく、工場地帯としても発展した蒲田ですが、戦争中は東京都内の軍需指定工場のうち実に4分の一が、現在の大田区域内に集結。そのため「蒲田区」の8割が焼失したとも言われる城南大空襲の他にも度重なる空襲により焦土となりました。
2012年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『梅ちゃん先生』は第二次世界大戦末期の蒲田から物語が始まり、闇市の様子も描かれています。(出典『蒲田の逆襲』『蒲田モダン研究会10周年記念誌』)
私は”大田っ子”でありながら、動画制作のために地元について初めて知ることばかりで、新作動画に携わることができて、活動写真弁士としてだけでなく、大田っ子としても良かったと思っております。※大田区には「大田っ子の歌」という有名な歌があります。
本日は松竹蒲田撮影所の大人気女優・八雲恵美子さんのお誕生日でもあります。ピアノ弾き語り活弁をする『母』(昭和4年・松竹蒲田撮影所)には、八雲恵美子さんも重要な役でご出演。活弁台本を書くために繰り返しお姿を拝見しましたが、見れば見るほど素敵な女優さんです。『母』の台本書き終わりました!
戦後しばらくは蒲田駅前の戦災瓦礫は手も付けられず状態だったそうです。
困り果てた住民達は、地元の顔役(東京都露店商同業組合蒲田支部長で1947年から都議会議員)だった醍醐安之助氏に相談に伺いました所、直ぐに瓦礫の山は撤去されていったそうです。
醍醐氏は、昭和40年代後半位まで都議会議員をしていたと記憶していますので、区の方にも資料残っているかもしれません。
甲子園で二松学舎が2勝して二勝学舎になりました。。。子供のころ手先が大きな金属のフックになってる魚屋のおじさんとか、上野駅前には傷痍軍人(しょういぐんじん・・・戦争でケガをした軍人さん)がたくさんいました。二度と戦争はしてほしくないです。