日本のディズニー大石郁雄さん

第738回無声映画鑑賞会~新春特選!活動写真バラエテ、澤登翠先生と、楽屋にいらしてくださった片岡一郎弁士と。

私が担当いたしました漫画映画『泳げや泳げ』は 漫画映画のバイブルともいえる『日本アニメーション映画史』に1939年との記載がございます。 しかし、この年代ですと世の中ほとんどトーキーに移行しています。この点、マツダ映画社の松戸誠さんにおうかがいしましたところ…

1939年にどこかしらで公開或いは販売されたのでしょうけれども、映画のクレジットをみると原案:伴野文三郎、作画:大石郁 とあります。大石郁というのはのちの大石郁雄氏のことで、大石郁と名乗ったのは初期の頃なので、恐らく、製作されたのは1930年頃ではないかとのことでした。

「大石郁」さん、のちの「大石郁雄」さんは「日本のディズニーともうたわれた才能」を持ったアニメーターでしたが、1944年、終戦の前年、42歳で戦死してしまいます。トーキー以後の作品は本当に日本のディズニーという感じですが、そちらと比べますと、『泳げや泳げ』は素朴ですので、やはり1930年ころの作品なのではないかと思います。素朴と申し上げましたが、プールの底が海底だったり、さらにカッパが出てきたりと、『泳げや泳げ』もたいへん楽しい漫画映画です。

国立映画アーカイブの「日本アニメーション映画クラシックス」には1934年『ポン助の春』が公開されています。戦後も生き続けていたら、どんなにすばらしいアニメを作っていらしただろうと思うと本当に残念です。

原案の伴野文三郎さんは1924年、大正13年に個人映画・家庭内上映向けのパテベビー映写機を日本に導入した伴野文三郎商店と同じ名前なので、おそらくご本人様ではないかと思います。出番前に学者弁士とも称される片岡一郎弁士に確認したら「多分そうでしょう」とおっしゃっていました^^

日本のディズニー大石郁雄さん” に対して1件のコメントがあります。

  1. TAKAじい より:

    ポン助は「ちつてと」だったんですね。狸・・・た抜きだけに。パッと見クマかと思っちゃいました。なめらかな動きのアニメーションはホント日本のディズニーですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です