大正活映の谷崎潤一郎さん

山崎バニラの活弁大絵巻 in ひかり

6月16日(日)14:00開演 光市民ホール 大ホール(山口県光市)
演目の一つ『教訓童話 花咲爺』の衣笠貞之助監督について調べるため『署名はカリガリ 大正時代の映画と前衛主義』(四方田犬彦著/新潮社)を拝読したところ、まず最初が谷崎潤一郎さんの章でした。

谷崎潤一郎さんと言えば大作家ですが、大正活映という映画会社では映画を制作していました。義妹の葉山三千子を売り出すため小田原から横浜に移り住んだそうです。大正活映に押しかけスタッフとして通っていた内田吐夢監督に声をかけてくれたのが葉山さんでした。

『署名はカリガリ~』では谷崎潤一郎さんの小田原事件についても書かれていて、著者の四方田先生は晩年の葉山三千子さんにインタビューもなさっています。主演を務めた『アマチュア倶楽部』(1920)の写真も掲載されており、葉山さんは大きなコネがあったことを抜きにしてもたいへん華のある俳優であったことがわかりました。本作は内田吐夢監督がまずは俳優デビューした作品です。

その葉山さんをモデルに書かれたのが社会現象ともなった小説『痴人の愛』。大正時代のモダンガールの様子が生き生きと描写され、活動写真、映画スター、弁士の話題も出てきます。一方で語り口は100年前の作品とは思えません。

『少年美談 清き心』のみのネタおろしだったので、いつもはピンポイントの調査になってしまうところ、興味の広がるままに調べることができてとても有意義でした。

巡り巡って1922年、衣笠貞之助監督と内田吐夢監督は現存していない『噫小西巡査』で、共同で監督デビューします!写真は小田原の城源寺の素敵な障子の前で。

大正活映の谷崎潤一郎さん” に対して1件のコメントがあります。

  1. TAKAじい より:

    雷鳥(らいちょう)のヒナをお披露目するために来庁しました。。。初めて『痴人の愛』って聞いたころ「知人の愛ちゃん」のことを言ってるンだと思ってました。バニラさんのカリガリ博士の活弁いつ聞いたか忘れちゃいました(^_^;

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